例会報告
金剛 永謹氏

第8回政経・文化サロン「和、誘いトーク 〜伝統芸能を愛でる〜」

 
日 時 : 平成22年5月29日(土)
場 所 : 金剛能楽堂
ゲスト : 金剛 永謹氏 (能楽 金剛流二十六世宗家)  
インタビュアー: 吉田 忠嗣氏 (吉忠マネキン株式会社代表取締役社長)
テーマ : 「継承への努力」 
 


政経文化サロンの不易と流行

「政経・文化サロンと言えば、京都市内のホテル」

というのが今までの相場だった。一言で言えば「洋」である。しかし、今日の政経・文化サロンの舞台は一味違った。

「能楽堂」。

テーマが「和」なだけにその舞台もテーマにふさわしい舞台が用意された。


 
 

●能の歴史は能面の歴史

「能の歴史は能面の歴史。今日は能面について少しだけお話します」

やわらかな、それでいてお腹にずしんと響く。そんな心地よい声の持ち主こそ、本日の講師、 金剛流二十六世宗家、金剛永謹氏である。

能とは、重要無形文化財かつユネスコ無形文化遺産である「能楽」の一分野であり、いわずもがな、日本の舞台芸術の一種である。
鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見たというから、その歴史は 600 〜 650 年になる。
金剛氏いわく、能の謡(うた)は、 全部で 2000 曲あり、実際に演じられるのは、そのうち 200 曲くらいだという。

「能面は、神男女狂鬼(しんなんにょきょうき)の5種類に大別されます」

ここからは、実際の能の面(おもて)を見ての鑑賞会も兼ねられる。会場は「へぇ」の連続となった。
たとえば、「翁」の面は、“能にして能にあらず”と呼ばれるように、平和や五穀豊穣を祈る演目で使われるとか、「男」の面は、平氏型は貴族のイメージのものが多いが、源氏型は武将の顔のイメージのものが多いとか、「女」の面は、雪月花が美しいとされるが、金春流と喜多流では全然表情が違うとか、一番有名な「はんにゃ」の面は、上と下は実は違う表情で、上半分は悲しみ、下半分は怒りを表すとか、といった具合である。

これは後の対談になってから分かった話だが、金剛氏が気軽に何気なく紹介する面の中には、実は国宝級のものも交じっていたようだ。なんとも贅沢な会である。
そして、そのようなことをわざわざ言わない、つまりその、奥ゆかしさがまた何ともにくい演出である。


●“ゆがみ”こそが日本的

「能の面をよく見ると、“ゆがみ”があります。これは中国から入った“陰陽”というのを日本的に解釈したものであり、これこそが日本的と呼ばれる真骨頂なのです」

またまた「へぇ」である。そして、子曰く、この“ゆがみ”というのは、華道や茶道などにも共通して見られるという。何とも奥が深い。このようなお話を聞くと、我々は毎日あまりにも当たり前になりすぎて意識が薄れているが、華道、茶道、そして能楽とすべての文化が揃っているこの京都はやはり、文化のまちであると再認識させられる。
そして、この文化はもはや日本の中だけでは留まらない。つい1ケ月前には、スペインで公演を実現し、全公演とも完売御礼だったと言う。


●能は分かるものではなく、感じるもの

講演の後半は、今回の企画者であり、自身“能の免許”も持つ吉田氏との対談となった。


「一番苦しかったのはいつ?」
「 20 歳のとき。当時は無駄に力が入りすぎていた」

「今までどれくらい舞台に立った?」
「数えていないが、多いときで月に5番はこなす」



とテンポ良く、矢継ぎ早に質疑が進む。

そして、最後は会場とのクロストーク。ここで、筆者自身の一番関心のあった質問が飛び出した。

「2時間近い能を見ていても、全然何言っているのか分からない。でも、なぜか終わったら涙している自分がいる。この感動は一体なぜなんでしょう?」

金剛氏から帰ってきた答えは意外であった。

「我々も実は分からないんです。なぜなら、これは平安和歌であり、おそらく室町時代の人でも分からないくらい難解な謡なんです。ですから能は分からなくてもいいんです。五感で感じてもらえればいいのです。」

この回答はもしかしたらタブーだったのかもしれない。しかし、この回答を聴いて、能を見たことがある人なら誰しもが一回は抱くであろう思い――つまり、内容が分からないのは、私の教養や感性がまだまだだからではないか――という一抹の不安は一気に払拭されたのではないだろうか。少なくとも、筆者自身は、胸のどこかで感じていた違和感が取り除かれた気がした。

金剛氏は、続けてアクセルを踏み、現代の利便性の陰の部分を少し皮肉まじりにこのように評した。

「現在、国立能楽堂では、座席の前で解説が見れるようになりました。便利な時代になったものです。しかし、この機器の導入で観客の皆さんがどこを見ることになったと思います?それは舞台でなく、画面ですよ。これでは本当の感動は伝わるはずがない」

ご指摘のとおりである。金剛氏の警鐘に近いメッセージは、最後の言葉にも表れていた。

「金剛流も時代とともに変化していく。もちろん重要なことは、この流派を継承していくことである。しかし、変わっていい部分は変えても良い。要は不易流行の判断が大事なんです」

今回の公演の最後は、金剛氏の息子であり、いずれ 二十七世宗家になるであろう、金剛龍謹氏の演舞で締めくくられた。若干20歳ではあるが、声、姿勢、立ち居振る舞い、すべてお父様譲りで会場は思わず吸い寄せられた。
もしかしたら、このメッセージは観客ではなく、父から息子へのバトンだったのかも・・・そう思うのは私だけだろうか。



 
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【文責:杉岡 秀紀】