例会報告
今井 紀明氏

第617回定例会

日 時 : 平成24年6月20日(水)
場 所 : 京都ブライトンホテル 芳樹の間
講 師 : 今井 紀明氏(特定非営利活動法人Dream×Possibility(申請中)共同代表)
テーマ : 「もう一つの自己責任論〜イラクの体験から起業までの道〜」


「自己責任論」

当時、高校一年生であった私は、その言葉が連日メディアから流れてくるのを聞きながら、何とも言えない気持ちになったのを覚えている。今回の講師は、8年前、まさにその言葉の渦中にいた、今井紀明氏。高校卒業後イラクに行き、人質事件に巻き込まれた。解放後、世論によって「自己責任」論が日本社会に猛烈に吹き荒れた。


「なぜイラクへ?」

高校はサボることが多かった。トイレ掃除で卒業した。「地球を救うより、自分を救え」とよく言われた。しかし今井氏は、自分の心の声に正直だった。社会問題には中学時代から興味があった。高校三年間昼飯を抜き、そういった活動にお金を使おうと決めた。2002年、イラク戦争が起き、自分に何かできないかと考えた。イラクの子供達のために、何かしたい、という想いが日に日に強くなっていった。そしてついにイラクへ。しかし、予想もしない事件に巻き込まれる。人質事件、9日間の拘束。1?2日目は7回場所を変えられた。目隠しをされ、銃を突きつけられながら。幸い命は守られた。しかしそこから、苦悩の日々が始まった。


「解放後の苦悩の日々」

帰国後、待ち構えてたのは、世論の猛烈な批判、バッシングだった。あの事件は、あんたたちの「自作自演」じゃないのか。そんなの「自己責任」でしょ。心ない言葉の数々に、今井氏の心はすり減っていった。対人恐怖症になり、ひきこもった。父と兄は仕事をやめた。「死ね、目がキモイ」と言われた。


「ある転機」

2004年、一向に収まらぬバッシングの嵐から逃亡するため、国外に逃亡した。しかし海の向こうに行っても、「あの日本人としゃべってはいけない」などと陰口を言われた。このままでは、何も変わらない。当時、氏のブログには6000件以上のコメント、メールは多い時で1日400件。氏は決意した。批判した人々に、自ら会いに行こうと決めたのだ。「対話すること」が解決への第1歩であった。
その後、大学へ入学。疎外感を多少なりとも感じながらも、ある友人との出会いが転機となった。まず自分が変わっていかなければならない、と強く感じた。その友人は現在のビジネスパートナーである。


「自分を諦めない!」

その後、就職も経験し、様々な若者を支援していく活動もしていく中で、現在の教育に違和感を持った。今の教育では格差が拡大し、社会的弱者が増えていく一方だ。本当に若者が自律力を高め、自分の生きる方向性を定めることが出来るようにするためには、年間を通した教育プログラムが新たに必要である。そう感じた氏は、NPO法人D×Pを創設。「ひとりひとりが自分をあきらめない!」をモットーに、悩んでいる若者に寄り添う活動をしている。

人質という経験ですべてを一度は失った氏の言葉だからこそ、強く胸に迫るメッセージである。


今井紀明氏ブログ
http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/

≪文責:小松原 駿≫