例会報告

第605回定例会

 
日 時 : 平成21年10月17日(金)
場 所 : 京都全日空ホテル
講 師: 第 1 部:福山 哲郎氏(外務副大臣、民主党参議院議員)
     第2部:佐藤 正久氏(自民党参議院議員)

≪第 1 部(講師:福山哲郎氏)≫


■“福ちゃん”から“副ちゃん”へ

「鳩山政権で外務副大臣を拝命いたしました福山哲郎でございます」

開会から待つこと 15 分。多忙な業務の合間を縫って、久々に福山哲郎氏(以下、福山氏)が京都の土を踏み、会場入りした。見た目は今までの “福ちゃん”である。しかし、その中身は、ある種別人格であり、先の衆議院選挙での与野党逆転により、本人が好むと好まざるに関わらず、 外務副大臣としての“副ちゃん”となった。そういう意味からすれば、この「 15 分」という時間はまさに、二大政党制幕開けへの春一番であり、 100 年に一度とも言われる「政権交代」の事実と、「政権与党」の重みの象徴とも取れる。

 鳩山政権が誕生する前の2週間。福山氏は、政権移行にあたって3つの対策に奔走してきたという。1つはインフルエンザ、2つは、補正予算の凍結、3つは、気候変動サミットの準備がそれであった。しかし、この時福山氏は、自分が内閣でどのようなポストで何をするのか、全く想像が付かなかったという。

結果的には、岡田外務大臣から声がかかり外務副大臣となるのだが、その舞台裏でも色々と紆余曲折や駆け引きがあったようだ。当然、今までのプロフィールからすれば、福山環境大臣待望論もあっただろうが、一言で言えば、今回はもう少し大所高所からの力学が働いたということだろう。



■副大臣としての初仕事「福山マジック」

 「外務副大臣としての最初の仕事は、先の国連の気候変動サミットにおいて、鳩山総理の演説を国際舞台に乗せることでした」

この言葉は先の人事問題のある種謎解きのヒントにもなるだろうか。しかし、この事実は言うは易く、行うは難い。いな、深いというべきか。というのも、今までの気候変動サミットでは、開会式はおろか、日本の宰相がこのサミットの中で、スピーチすることすらなかったのである。それも世界の 190 カ国の中でも、オバマ大統領や胡錦濤中国国家主席など 6 〜 7 人の国家元首しか許されていない開会式のスピーチである。その重要性は論を待つまい。そんな世界が注目する国際舞台に、言葉は適切でないかもしれないが、新人の外務副大臣が、政権交代ほやほや、また宰相に成りたてほやほやで、ある意味実力未知数のわが国の総理をねじ入れたのである。そして、あの世界をあっと震撼させた「 25 %削減宣言」。これこそ、地道に世界的な環境問題に関する人脈を築いてきた福山氏ならではの仕事さばきである。「福山マジック」と言えば、少し誇張し過ぎた表現かもしれないが、それだけのインパクトであった。

「鳩山総理の強い意思もあり、英語にもこだわったんです。英語だったからこそリアルタイムであの拍手が一斉に沸いたんですね」

簡単に言ってのけるが、国連では普通母国語でスピーチするのが常である。この暗黙の了解を早くも初仕事でひっくり返したのだから、まさにこれは「福山マジック」と言えそうである。


■「外交カード」としての気候変動問題

「日本もようやく気候変動の外交ゲームに参戦できたなと思っています」

もちろん、この場合のゲームというのは、遊びのゲームという意味ではない。結論から言えば、これは「外交問題」としての気候変動問題、翻って、気候変動問題が「外交カード」という意味である。それが証拠に、日本では、産業界やマスコミを中心に「 CO 2 の 25 %削減の具体策が見えない」など批判が多いにも関わらず、世界レベルでは、このような批判が全く出ていない。このことは、まさに「 CO 2 削減をどのような内訳でまた、手法や手順で削減するか」その中身自身が、まさに外交の交渉カードとなったことを意味している。気候変動を専門とする福山氏が岡田外相とともに今後国際舞台でどのようなカードを使って、外交ゲームをするのか、国民としてその一挙手一投足が楽しみである。

■私の仕事はお留守番

「岡田さんは、政権発足後1週間も日本にはいない。お陰で私はすっかりお留守番が仕事になりました」

もちろん、これも極端な比喩である。事実は上司である岡田外相があまりにも過密な外交日程をこなされるばかりに、自然と福山氏の役割は国内担当になっただけということである。

しかし、このことも実は日本の外交を考える上ではかなり示唆深い。というのも、大臣の体が国内であれ、国外であれ、日本の外交は現在進行形かつ同時平行で考えなければならない。つまり、外交問題は二枚舌ではなく、一枚岩で考えなければならなく、そういう意味において、この岡田外相と福山氏の関係性というのは、日本国としてある種初めて名実共に「夫唱婦随」でものを言える関係となったといえるからである(逆に、そうでなければ、亭主は家をずっと留守にはできないであろう)。冒頭の 15 分の時間となぞらえて言えば、いわば亭主である岡田外相が留守する日数が、女房役である福山氏の信頼度を表しているのかもしれない。 

また、このことは、副大臣というポストそのものに対する意味をも再定義する。つまり、今までの自公政権ではある主名誉職的であった副大臣・政務官というポストが、ようやく水を得た魚のような本来機能を果たしているのだ。国民にはまだまだ見えにくい変化かもしれないが、こういう細かい改善も「政治主導」を掲げる民主党政権ならでは変化と言える。

もちろん、普天間基地の問題、ポスト給油法の問題、アフガニスタン問題、北朝鮮の問題、核の密約問題等々、外交にかかる課題は山積である。しかし、どのような分野でも千里の道も一歩からである。今後短期的には失敗することもあるかもしれないが、「京都の福ちゃん」「民主党の福ちゃん」が「日本の福ちゃん」「世界の福ちゃん」として益々活躍されるために、経済人クラブ一同、聖地・京都からエールを送り続けたい。

 



≪第2部(講師:佐藤正久氏)≫

■下野しても「隊」

もし与野党を超えて、つまり、日本のためのオールスター閣僚名簿を作るとすれば、お世辞抜きでこの人をおいて防衛大臣にノミネートされる人はいないだろう。
しかし、今回は計らずもその「仮定法(もしも)」から最も遠い位置にある「野党」議員としての登壇となった。 

「野党・自民党の佐藤でございます(笑)」

最近の佐藤氏は必ず「笑」から入る。ただでさえ堅い話をそれ以上堅く聞かせないための配慮なのだろうが、この笑いを“準備”ではなく、“即興”で出すのだから、何とも圧巻である。

「今朝アフガニスタン、スーダン、ジブチから日本に帰ってきました。今まで時差ボケで眠たかったのですが、壇上にあがったら、すっかり目が冴えてきました」

これこそプロである。たとえ下野したと言っても安全保障のプロがアマチュアに成り下がる訳ではない。佐藤氏が尊敬する中曽根元総理が「私は引退しても政治家です」と言っておられたのを思わず彷彿させる。

「痩せて帰ってくるつもりだったんですが、あちらの水と食事で一度も下しませんでした(笑)」

現場主義、プロフェッショナルとはこういう人のことを言うのだろう。それでいて、我々国民に分かりやすい目線に立ち続けることを忘れない。
考えすぎかもしれないが、この話の持っていき方は、第1部の福山氏への佐藤氏なりのリベンジでは?とふと思った。つまり、「日本は戦争に負けても、奴隷でなったわけない」と言い放った白洲次郎よろしく、「自民党が野党に落ちても、俺は落ちた訳でないぞ」と。
真意はともあれ、この緊張感、このファイティングポーズこそが、二大政党制がもたらした果実と思いたい。下野しても鯛ならぬ、「隊」なのだ。



■アフガニスタンの現場から〜与野党を越えて〜

「アフガニスタンに対して自民党は、昔から、給油を含めたテロとの戦い、つまり治安維持と民生支援の両方をやってきました。ただとにかく PR が下手なんですね」

ここからがヒゲの隊長の真骨頂である。矢継ぎ早に佐藤氏ならではの本質的なレポートが続く。

「目下、アフガニスタンの課題は大統領選挙。スーダンも来年が選挙。発展途上国における選挙は権力闘争、血みどろの戦いです。そういう現場を鑑みると、いくら頭の上で民生支援をやろうと思っても、治安が悪ければ出来ない、ということが分かってくるわけです」

つまり、言わんとしていることは、「治安を維持しながらでなければ、民生支援はできない」ということ。また、大事なのは、「どちらか」ではなく、「どちらも」である、ということ。しかし、このようなことは、現場に行けば、すぐに分かるのに、国内では与野党問わず、とにかく現場感のない議論がまかり通る。佐藤氏からすれば、これではいけない、という焦りを抑えられないのだろう。

「どれだけおいしいステーキを船で食べようと思っても、安全でなければ食べられないでしょ」

これまた痛快かつシニカルな喩えである。 「ただ給油を止めるなら、一点だけ忘れて欲しくないことがあります。それは、 9.11 (ナイン・ワン・ワン)。そこで命を落とされた方のこと、そして、その方のご家族の思いを忘れてはいけません。だからお金だけ出せばいいというのは絶対に駄目」
政治であれ、経済であれ、スポーツであれ、勉強あれ、どんなことでも原点というものがあり、その原点には「与党も野党もない」はずである。まさにヒゲの隊長こと佐藤氏の政治信条、政治姿勢の中枢はここにある。

「ちなみに民生部門なら、とりわけ道路などキャパシティ・ビルディングが大事だと思います。またグリーンゾーンという安全な場所に能力開発センターを作るのも効果があるでしょうね」

これは自らへの戒めだろうか、それとも相手へのヒントであろうか。最後は不思議な風が吹いた。 。


■与党の総裁と野党のそれは似て非なるもの

最後に余談としてこんな話も聞かせてくれた。

「総裁や幹事長に当日にアポを入れて会えるんです。これは与党時代にはなかったことですよね」

余談だが、マスコミも指摘する通り、自民党総裁が党本部にいることは今までほとんどなかった。ゆえにある意味今まで考える必要がなかった党内における総裁と幹事長との役割分担が今出て来ているのである。しかし、この話は国民的には単なる笑い話で済ませられても、党内の議員や陳情をする者からすれば、誰にアポを取り、話をすべきなのか分からなくなった、という。そういう意味において、ことのほか根深い問題になりそうである。

「与党にいるときよりも、勉強できる時間、考える時間が増えましたね。これからは政策で勝負しますよ。我々は質問する側、追及する側の野党ですから」

政権交代は言わずもがな“手段”。大事なのは“目的”、つまり「その先」である。「その先」を巡って、これからがまさに与野党の冷戦あるいは内戦となろう。
表情には決して表さないが、海外への留守中に党の「国防部会長」となった佐藤氏の心には今、使命感、責任感、焦燥感、反骨精神、そして、プライドといった火がメラメラと燃えたぎっている。孫氏の兵法で言えば、今は「敵を知る」時期だろうか。

「遠くへ飛びたければ、しゃがんでみよう」

こんな天の声が聞こえるのは私だけであるまい。

 



〜第605回の定例会を終えて 〜

「1人でもすごい講師を一夜で2人とも呼んでしまう。これが経済人クラブの魅力やな」

懇親会で聞かれたこんな会話が象徴するように、第 605 回の講師の顔ぶれは実に豪華かつ面白い組み合わせであった。それも先の衆議院選挙での与野党逆転により、今までと正反対の立場での登場である。こんな瞬間を見られるのも、この 60 年を越す歴史を持つ経済人クラブならではの魅力なのだろう。そして、やはりこの京都という土地柄がなす業というのもあるのだと思う(ふと振り返れれば、今回の両講師はもちろんのこと、京滋出身の民主党議員 15 名のうち8名が閣僚、野党の総裁も京都出身である)。

「経済人クラブで講演すれば、大物になる」

巷ではこんなジンクスも存在するという。次にこのお二人を見るときはどのような立場、肩書きで登場されるのであろうか。今からその時が楽しみである。

   


〜懇親会の様子〜


  

  

  



≪文責:すぎおか ひでのり≫