■「なんとかなるさ」のUターン
幼少の頃から「着物」に触れ、学生時代からは本格的に日本の伝統である「染め」と「織り」を学んだという柾木氏。卒業後は、学生時代に賞を取ったご縁で東映に入社。時代劇やきもの雑誌「美しいきもの」等のモデルとして活躍した。
しかし、着付け師さんに着物を着せられる中で漠然と思った「着物を楽に、早く、きれいにきれるって素晴らしい」という思い。そして、同世代の友達とまちでお茶をしていたときにふと言われた「普段から着物着れるんやね。羨ましいわ」という言葉が、自分の中でひっかかった。
「私だけがこのような思いをしていて良いのだろうか」
いみじくも柾木氏は、ちょうどその頃、東京生活にも違和感を覚えはじめ、芸能界の厳しさというものも日増しに感じているさ中にあった。
もちろん、着物で生活ができるなんて保証はない。でも、頭に浮かぶのは「京都」「着物」という漢字の二文字たち。
「なんとかなるさ」
この性格が幸いした。この日から柾木氏の肩書きは「モデル」から「着物ライフプロデューサー」へと変わった。
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