例会報告
田邉宗一さん(酬恩庵一休寺住職)

第613回定例会

日 時 : 平成23年6月21日(火)
場 所 : 全日空ホテル
講 師 : 田邉宗一さん(酬恩庵一休寺住職)
テーマ : 「一休さんから学ぶ処世術」


今、あなたの前に「このはしわたるべからず」という看板が立っている。あなたはきびすを返してすごすごと帰るか、他の道を探すだろうか。あなたに、目の前の橋を渡るという選択肢はあなたにあるだろうか。「わたるべからず」という文句を前にして、目の前の橋を堂々と渡るとしたら、それは“強行突破”ではなくて、根拠を持った突破だろうか。

このとき「端(はし)を通らないように真ん中を歩いたのです」という根拠でもって、この橋を突破したお坊さんがいる。そう、日本人なら誰でも知っているその人物は、波乱の時代を自らの根拠をもって実にすがすがしく生きた人であった。「いっきゅ〜さん」というあのフレーズでお馴染みの“一休さん”こと、一休宗純その人である。

日本のお茶の間で長年親しまれてきた“一休さん”で有名なのは何と言っても「とんち」である。「とんち」とは、“とっさの機転”、つまり、“頓悟の知恵”を指す。先に挙げた例は、まさに、彼の“とっさの機転”を表すものの一つであるが、その凄みは、“とっさに出てくる”ということと、“気持ちのよいすがすがしさ”にあると思う。これぞまさしく、波乱の時代にあって、ためらいなく生き切る、彼なりのやり方であったのではないか。京都府京田辺市にある「酬恩庵」は、室町時代、荒廃した妙勝寺という寺を一休宗純が草庵を結んで中興し、号したものである。通称、一休寺と呼ばれる「酬恩庵」の現住職田邉宗一氏は、一休宗純の残した生きざまや文化が現代の世に語りかける妙味を語って下さった。

例えば、彼は、自分の服装の違いによって応対を変えた民家の者について、こう言った。

「今、私へ出して頂いたご馳走は、この立派な着衣を見られて出されたものであるから、私は頂けないですね」

と、服をたたんで隣に置き、その服にご馳走をとらせてみせた。強烈であり、かつ見事に本質を突いたエピソードである。

この逸話にもある通り、彼があらゆる場面で主張した事は、つまり、形式や名誉、意地、慣習、迷信にとらわれることのつまらなさであった。つまり、見た目にとらわれているのは、“偶像崇拝”であって、仏が自分と離れたところにいてしまっている―。仏とは、自己を離れて存在すべきではない―。自分の心の中にいるものではないのか―。これが彼が一貫して行動したことであった。

こういった逸話も残っている。正月のおめでたい時に、何を考えたか、“しゃれこうべ”を用意してきたのである。縁起が悪いと人々は顔をしかめたが、一休禅師は意に介さない。正月とは、1年の始まりであり、また1つ年をとる時であるが、それはすなわち「死」にまた一歩近づくときでもある。その時に門松で“めでたい、めでたい”と祝っていたのでは、年をとったことに気付かない。明日もまた安全な日が来ると思っているのならば、しゃれこうべを見せることで今を生きることの意義を伝えたい―一休禅師の意図はそこにあった。やや荒っぽいやり方ではあるが、実に本質を得ている。

一休禅師に言わせれば、

「人は、今日のご飯さえ忘れるのに、前世がどうとかこの先がどうとか考えるのは不毛なことである」

と。人は毎日生まれては死に、一人ひとりの細胞も日々新陳代謝をしている。毎日が生と死の繰り返しで、昨日も明日もない。今日の頑張りのみが全てである。その一瞬一瞬が虚ろなものなら退屈であるし、一瞬一瞬が愉快ならいつも愉快ということになる。昨日は去ったものであり、明日はまだ来ないものである。つまり、“今を大切に生きよ。”―これが彼の唯一最大のメッセージであった。彼は6歳で安国寺に入り、修行を続け、 18 歳では禅の修行を受けている。途中、師匠を亡くしたことで将来を見失い、琵琶湖で入水自殺を図ったが、母によって救われた経験を持つ。その時から、彼は心に深く刻んだのであろう、“今ここで私自身が生きていることがすべてである”と。人は、将来の、今とは違う場所をついつい考えがちであるが、全力を集中し、無心でやっていくことが波乱の時代の中で自分を見失うことなく生きていくすべなのだと、彼は一生涯をかけて多くに人々に語りかけた。とんちという手段を用いて―。

混迷を極める時代ということであれば、未曾有の震災を経た今も然り。頼るべきものや信じるべきものを求めて、周囲に何かを探しゆく―。それは当然のことかもしれない。ただ、住職は、最後に一休禅師の生き方を参考にこう結んだ。

「境遇をうらやんだり、他人との比較をしたり、いつの時代にも人が生きている限りつきまとう課題ではあるが、“よかれ”と思って“しかれ”と思わず、ありがたいことだと感謝する―。それが幸せであり、それを決めるのは自分の心ひとつであると一休禅師は言いたかったのだと思います。最期に“死にとうない”と言った一休禅師は、きっと誰よりも生きる事に思いを注ぎ、自分なりの考えで一生をまっとうしたのです」

改めて“一休さん”のとんちを見れば、それは生命力にあふれている。“処世術”という頭をひねった技というよりも、一生懸命に時代を駆け抜けた彼の、心のメッセージといえるだろう。さぁ、今日も一日、生きましょう、生きましょう。


≪文責:佐野 正明≫